心理学を学ぶと、さながら小宇宙に迷い込んだ感じがします。
物理的な意味ではなく、精神的、あるいは超抽象的に。
ふと考えたモデルをここに備忘録として記しておきます。
自論、人格形成において自然(じねん)モデルというものが存在するのではないか。
概要としては、文化的な束縛から解放されれば解放されるほど、文化的側面が開放されるということ。
例を挙げると、
・過保護の親に育てられた子ほど、内面が「反抗的」になる
・放任主義の親に育てられた子ほど、内面が「独占的」になる
・信仰心の厚い家庭に育った子ほど、信仰に対する葛藤を抱える
・信仰心の薄い家庭に育った子ほど、信仰に対する葛藤を抱えにくい
など。
このモデルの根本には、質量保存の法則がある。
とは言え、「心的エネルギーに質量も何もあるか!」と反論がありそうだが、それは質量の定義から考えなくてはいけないため、棚に上げておく。
つまり、一方にかかったエネルギーに応じた反対方向にかかるエネルギーが存在する、ということを基本に置いているのである。
これに即するならば、対極の概念を見出すことで何らかの変化が現れるのではないかと考えられる。
これらは確たる調査を行っておらず、あくまで私個人の経験や体験に基づくため、仮説の域を出ないことをここに記しておく。
また、「自然モデル」というのも漠然とイメージしただけのタイトル程度に思ってもらえたら幸いである。
追記:この記事を書いている途中、フロイトの力動論について調べてみた。すると、同じく質量保存の法則を基にしているということを知った。
私が先か、巨匠が先かなどと言うつもりはない。むしろ私の日頃の講義に対する態度が前面に現れたと言える。(威張ることじゃないんだけどorz)
ただ、発達心理系統や精神分析系の講義で激しい眠気を覚えるところから考えると、私自身その類のことに何らかのトラウマ、あるいは自分自身無意識に触れたくないものがあるのではないか。
ただ「授業がつまらない」だけでは説明がつかないことが自分の中に存在するのは確か。
そのことを考えさせられた。
まぁ、「流れに身を任せるということは、逆に流れに逆らうという力を自然ともたらす」程度に思う。
迷宮はまだまだ続きそうだ。
ではでは。φ(・へ・)カリカリ



